昨年に続き、G.W.らしからぬG.W. 皆さんどうお過ごしでしたでしょうか。
今日は、
手始めにマイベスト3作品の発表から!〜私の「男はつらいよ」寅さん考(1) と
国民的映画になったその鍵は第3作と第4作?!〜私の「男はつらいよ」寅さん考(2) に続く
『私の「男はつらいよ」寅さん考』の第3回目、「心に残った名言・名セリフベスト12」と題してお届けします。
若い頃の、というかしばらく前までの私のように、この映画のことをあまりよく知らない方にとっては「寅さんって多少はペーソスは混じっているだろうけど、基本、シンプルでわかりやすい喜劇なんじゃないの?」と思っておられる方も多いかと思います。
あながち間違ってはいないのですが、実は深く含蓄のあるセリフが散りばめられていて、そこには人生の真実や幸福とは何か?という哲学的問いかけへの答えとも取れる名言もいくつか。哀しみや情味、慈しみに満ちたセリフも心に残ります。
見かけほど単純な作品じゃないんだ〜 ということがよくわかっていただけるかと思います。
ネタバレになってしまう部分もあるかと思いますが、寅さんに興味を持つきっかけになっていただければ。
逆に、私などよりもずっと熱心な寅さんファンの方から見ると「どうしてあのセリフがベストに入ってないんだ〜?」と思われることもあるかと思います。が、私個人の好みで主観的に選んでいますのでどうぞお許しください。
それでは、
「男はつらいよ」私の心に残った名言・名セリフベスト12、いってみましょう〜♪
● 「・・・夜汽車に乗ってさ、外見てるだろ。
そうすっと、何もない真っ暗な畑なんかにひとつポツンと灯りがついてて、
『あー、こういうところにも人が住んでるんだろうなぁー…』
そう思ったら何だか急に悲しくなっちゃって、涙が出そうになる時ってないかい?」
(第11作 「寅次郎忘れな草」(1973)より リリー(松岡清子)のセリフ)北海道・網走行きの夜汽車の中で、車窓を眺めながら泣いている一人の女性を寅は見かける。
それが寅さんと運命の女性・リリーとの初めての出会いのシーンで、この時は互いに会話を交わすこともなかったが、その後、網走港の船着き場で再会した時の会話で、上のセリフが出てくる。
このリリーの言葉を受けて、寅が
「こんなちっちゃな灯りが、こう…遠くの方へスーッと遠ざかって行ってなぁー…
あの灯りの下は茶の間かな、もうおそいから子供達は寝ちまって、父ちゃんと
母ちゃんがふたぁりで、湿気た煎餅でも食いながら紡績工場に働きに行った娘の
ことを話してるんだ、心配して・・・」と想像力フル回転で返すセリフが続きます。
リリーさんほどの切実さがあるわけではないけれど、まさに車窓の外を眺めながら私も同じようなことを感じたことが何度もあります。ローカル線ならではの旅愁でもありますね。
この網走の船着き場での二人の会話シーンは、BGMにも哀愁があって素晴らしく心に残ります。
●
「人間が、いつまでも生きていると、
あのー、こう、丘の上がね、人間ばっかりになっちゃうんで、
うじゃうじゃうじゃうじゃ。
面積が決まっているから、で、みんなでもって、こうやって、満員になって
押しくら饅頭しているうちに、ほら足の置く場所もなくなっちゃって、
で、隅っこにいるヤツが『お前、どけよ!』なんてって言われるとアーアーアーなんつって
海の中へ、ボチャン!と落っこって、そいでアップ、アップして
助けてくれ!助けてくれ!なんつってねェ、死んじゃうんです。
まあ結局、そういうことになってんじゃないですかね、昔から・・・」(第18作「寅次郎純情詩集」(1976)より 車寅次郎のセリフ)京マチ子演じるマドンナ、綾が自身の短い余命を思いながら
「人間はなぜ死ぬんでしょうね・・・」と問いかけた言葉に対する寅の答え。
まるで幼児の答えのようにも思える無邪気なアンサーだが、宇宙・自然界の原理原則のようなものをそうとは知らずに口にする寅。同時に実は非常に哲学的な答えにもなっているような。
綾の唐突な問いに困りながらも場を和ます気持ちから出た言葉で、当然寅さん自身にはそういった意図はこれっぽっちもないわけですが、
本人がそうとは知らずに本質、人生の真実を突いていることが寅さんの発言には往々にしてあります。
結果的に「達観した賢者」と同じ結論を導き出し、似た境地に至っているというミラクル。だから第22作「噂の寅次郎」では、博の父(志村喬)に「大人物」に喩えられたりもするのですよね。
綾への回答は、寅さんの「天才肌」ぶりが伺える、大きな感銘を受けたセリフの一つです。
● 「そう、あれはもう10年も昔のことだがね、
私は信州の安曇野というところに旅をしたんだ。・・・・
バスに乗り遅れて田舎道を一人で歩いているうちに日が暮れちまってね。
暗い夜道を心細く歩いていると
ポツンと一軒家の農家が建ってるんだ。・・・庭一面に咲いたりんどうの花、
あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち。
私はその時、それが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、
ふと、そう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。人間は絶対に一人じゃ生きていけない」
(第8作「寅次郎恋歌」(1971)より 諏訪飈一郎のセリフ)志村喬演じる、博の父・諏訪飈一郎が、息子の博以上に心を通わせていた寅さんへ向けて、自分の人生に対する後悔と忠告を口にするシーン。目を閉じると自然とその光景が目に浮かんでくるような、言葉による美しい描写が光ります。
この旅先の光景に心打たれたせいか、飈一郎の自宅の庭にはりんどうの花が植えられています。
しかし実際は飈一郎の妻の葬儀の場でも、息子たち(博の兄たち)の冷淡さが露わになるように、本当の意味で温かい家庭を築くことができなかった、あるいはそういった生活の大切さを息子たちに説き示すことができなかった後悔が飈一郎にはあります。
心情面での家族崩壊は、小津安二郎監督の「東京物語」などを彷彿とさせるものがありますが、実の家族ではない寅さんだからこそ飈一郎も話しやすかったという面があるでしょうし、のちの満男ではないですが、ある面で寅さんという人間を非常に買っていた、だからこそ心配で忠告を送ったという面もあったのでしょう。
それにしても寅さんは、著名なインテリや一流芸術家、その町一番の名士である「殿様」など、とにかく大物に可愛がられます。真っ直ぐな他意のなさが好まれるのですね^^
そしてもうひとつ、ふと思ったのは、テレビの人気番組「ポツンと一軒家」の番組名ってもしかするとこのセリフからとったものでは?と。どうなのでしょう。
● 「難しいこと聞くなァ。何と言うかな、
あー生まれてきてよかったなあって思うことが何べんかあるじゃない。
そのために人間、生きてんじゃねえのか」
(第39作「寅次郎物語」(1987)より 車寅次郎のセリフ)甥の満男の
「人間は何のために生きてるのかな・・?」という問いかけに対する、寅さんの名回答。
終盤は満男の方がむしろ主役とも言える立ち位置になり、寅さんはおじとして恋や人生に悩み奮闘する可愛い甥っ子を見守るというスタンスに変わっていきます。
「何のために勉強するのかな?」という満男の問いへの名答、引っ越したガールフレンドに会うために九州まではるばる一人でやってきた満男をかばう珍しく毅然としたセリフなど、これ以降の作品では寅さんの名言とされるセリフがいくつも登場するのですが、これは満男絡みの最初の名回答と言えるセリフです。
私は満男絡みの寅さんの名言の中では、このセリフがダントツで気に入っています。実はものすごく深い回答のように感じるのですが、そうとは思わず、またそれゆえに何のてらいもなくあくまでも軽〜くこのセリフを口にする寅さん。そこが妙に格好いいのです!
● 「・・・でね、私市長にこの絵を見せたん、
そしたら市長さんもびっくりしはって、
200万円だすからこの絵を譲ってくれ言わはったん。
けど私譲らへん!絶対譲らへん!1000万円積まれても譲らへん!
一生宝もんにするんや!・・・」(第17作「寅次郎夕焼け小焼け」(1976)より 芸者・ぼたんのセリフ)手始めにマイベスト3作品の発表から!〜私の「男はつらいよ」寅さん考(1) の中でも書きましたが、私の好きな第17作「寅次郎夕焼け小焼け」の中で、いやもしかすると
寅さん全作品の中でも一番感動した、この回のマドンナ、芸者・ぼたんのセリフ。哲学的とか人生の真理を突いているといった理屈は抜き。人の優しさへの感謝・感激の気持ちが素直に溢れ出たぼたんのセリフはやはりストレートに見ている側の胸も打ちます。
第17作にはこの他にも、
「じゃあ、仮にですよ、あなたがもう一つの生き方をなすっとったら、ちっとも後悔しなかったと言いきれますか?・・・私、近頃よくこう思うの。人生に後悔はつきものなんじゃないかしらって。ああすればよかったなあ、という後悔と、もうひとつは、どうしてあんなことしてしまったのだろう、という後悔」という、池ノ内青観の若かりし頃の恋人で、老いた今も心の中で想い続ける志乃のセリフが出てきます。
志乃役を演じた往年のスター女優・岡田嘉子の実際の生き様とも重なるとされる相手への思いに溢れた名セリフなのですが、ベスト12を選ぶにあたっては、やはりぼたんの純な心が光るこのセリフにしました。
● 「・・・仏さまは愚者を愛しておられます。もしかしたら
私のような中途半端な坊主より、寅の方がお好きではないかと、
そう思う時がありますよ、さくらさん。」
(第39作「寅次郎物語」(1987)より 題経寺住職「御前様」のセリフ)ひょんなきっかけから、寅さんが幼い少年とその病身の母親との再会を手助けする展開となった第39作「寅次郎物語」。
「良かった。本当に良かった。仏さまが寅の姿を借りてその子を助けられたのでしょうなあ。」という御前様の言葉を受け、さくらは「もったいない。兄のような愚かな人間が仏さまなんて。罰が当たりますよ御前様。」と返す。
それに対して御前様が返した言葉が上記。
先に挙げた「寅次郎純情詩集」に出てきた寅の名言に関して、「本人がそうとは知らずに本質、人生の真実を突いていることが寅さんの発言には往々にしてある」「結果的に「達観した賢者」と同じ結論を導き出し、似た境地に至っているという凄さ」ということを書きましたが、まさにこれに近いことを御前様も仄めかしておられる気がします。
破天荒でハタ迷惑で社会人としては難ありの寅さん。しかし私欲とはまるで無縁のピュアな人情味が、期せずして寅さんを修行僧などよりもよほど仏様に近いところに引き上げていたのかも知れません。もちろんそのことを寅さんは知る由もありませんが。
(また別に書くことがあるかも知れませんが・・・私は実は「賢妹」の誉れ高いさくらがどちらかと言うと苦手です。(変わってますか?笑)寅さんの方が心情的に共感できるんですよね、実を言うと。自分も愚者ゆえかも知れませんが)
● 「髪結いの亭主なら、寅にも務まると思いませんか、さくらさん。
ふたりが結ばれたら・・・門前町に小さな店を持たせて、
週に一度そのキレイなおかみさんの手で私の頭を剃ってもらうんです」
(第45作「寅次郎の青春」(1993)より 題経寺住職「御前様」のセリフ)上の第39作「寅次郎物語」でのセリフに続き、もうひとつ御前様のセリフがランクイン、です!
この第45作は、
第1作より御前様役を演じた笠智衆さんの最後の出演回で(しばらく後に逝去)、このセリフが最後のセリフとなりました。
御前様が寅を教え導こうとするもままならぬその愚かさに呆れ果て、
「困ったァ〜」などとボヤくシーンが「男はつらいよ」の中には何度かあります。
「出来が悪い子ほど可愛い」とよく言いますが、御前様にとって寅はまさにそんな子供のような存在だったのでしょう。
御前様のセリフでは、
「もともと寅の人生そのものが夢みたいなもんですから・・・。」(第41作「寅次郎心の旅路」(1989))というセリフも印象深かったのですが、寅さんへの慈愛に溢れたお言葉ということで、こちらのセリフの方を選びました。
笠智衆さんもだいぶ衰えておられて、このセリフも、傍にいるさくら演じる倍賞さんに見守られながらやっと発しておられるような感があるのですが、最後に寅さんという人間とともにこの映画への万感の思いが滲み出ているようにも見え、余計に印象的に映ったかも知れません。この作品が最後と決まっていたように思えるセリフでもあります。
御前様は初期の頃から一貫してトボけた味があって、寅さんが御前様にカメラを向け、シャッターを押そうとすると、「チーズ」ならぬ
「バター」と真顔で仰るシーンもあります。「困ったァ〜」などと並んで大好きなボケの名セリフです。
● 「どんな人間でも取りえがあって、悲しまれたり惜しまれたりして死ぬんだぞ。
てめえが死んだとき悲しんだのはサラ金の取り立て人だけだったって言うじゃねえか、
情けねえ野郎だな、本当に。たった一度の人生を、
何でそう粗末にしちまったんだ。お前何のため生きてきたんだ」(第39作「寅次郎物語」(1987)より 車寅次郎のセリフ)悲しい死に方をしたテキヤ仲間の位牌の前での寅のセリフ。
昔はその名を馳せたものの今は見る影も無いほど老いてしまった、あるいはこのようにすでに亡くなってしまった元同業者へ見せる寅さんの人情味は、「男はつらいよ」シリーズにおける隠れた肝のシーンだと私は思っています。
寅さんが無意識のうちに自分自身に向かって投げかけている言葉のようにも聞こえて、だからこそ余計に哀しい。
自分がカタギの人間ではないという立場をわきまえ、痛感しながら話している時の寅さんの言葉には、普段では見られない深刻さと哀愁がある気がします。
それは、次のこんなセリフにも表れています。
↓↓↓
● 「そ、そんな、じょ、冗談じゃねえやオレが、……」(第18作「寅次郎純情詩集」(1976)より 車寅次郎のセリフ)手始めにマイベスト3作品の発表から!〜私の「男はつらいよ」寅さん考(1) でも少し触れましたが、物語終盤における、マドンナ綾の娘・雅子とのやりとりの中で出てくる、寅さんのセリフ。
「とっても聞きにくいことなんだけど・・・寅さん、お母様のこと愛してくれてた?」という、マドンナの娘・雅子の言葉に対する短い返しの言葉です。
これに関しては、この短い言葉を発する時の寅さんの表情も込みで印象に残るシーンであるので、『名言・名セリフ』という範疇に入れるべきかどうか迷いましたが、やはり私にとっては非常に心に残るシーン、言葉だったのでここでもあげさせていただきました。
以前にも書いたように、ここは
珍しく寅さんに「男(の色気)」を感じるシーンでもあります。
自分のようなカタギではない人間が綾を愛する資格などない、あるはずなかったではないか、という寅さんのある種の謙虚さ、自分に「そうだろ?」と言い聞かせているその悲しみが、この短い一言に表れています。
実は
寅さんは、悲しいぐらいに己をわきまえている人なんですよね。だからこそ笑いの陰に常にペーソスがある。
●
「・・・ベルが鳴る。 場内がスーッと暗くなるなぁ。
・・・皆様、たいへん長らくをば、お待たせをばいたしました。
ただ今より、歌姫、リリー松岡ショーの開幕ではあります!
静かに緞帳が上がるよ。スポットライトがパーッ!と当たってね。
そこへまっっちろけなドレスを着たリリーがスッ・・と立ってる。
ありゃあ、いい女だよォ~、え~。ありゃそれでなくたってほら容姿がいいしさ。
目だってパチーッとしてるから、映えるんですよ。ねぇ!
客席はザワザワザワザワザワザワザワザワってしてさ。
綺麗ねえ・・・。 いい女だなあ・・・
あ!リリー!! 待ってました! 日本一!
やがてリリーの歌がはじまる。
♪ひ~とぉ~りぃ、さかぁばでぇ のお~むぅ~さぁ~けえ~はあ・・・
ねぇ 客席はシィーンと水を打ったようだよみんな聴き入ってるからなあ。
お客は泣いてますよぉ。リリーの歌は悲しいもんねぇ・・・。
やがて歌が終わる。花束!テープ!紙吹雪!
ワァ―ッ!と割れるような拍手喝采だよ。
あいつはきっと泣くな・・・。あの大きな目に、涙がいっぱい溜まってよ。
いくら気の強いあいつだって、きっと泣くよ・・・。」
(第15作 「寅次郎相合い傘」(1975)より 車寅次郎のセリフ)シリーズ屈指の名作とされる第15作 「寅次郎相合い傘」の中でも有名な
「寅さんのアリア」と称されているシーン。
まさに寅さんの独演状態で繰り出される長台詞ですが、やはりこれを挙げずには済まされません。
もしふんだんにお金があったら何をするかとさくらに問われ、寅さんはリリーの夢を叶えてやりたいと答えます。
歌舞伎座とか国際劇場とかそんなところを一日中借り切って、一流の大舞台で好きなだけ歌を歌わせてやりたいと話し、それに続けて出てきたのが上記の長台詞です。
場末の小さなキャバレーで歌うしかないリリーの不遇を、自分のことのように嘆き悲しむ寅さん。そしてそこから口をついて溢れ出るのは、リリーの晴れ舞台の妄想シーン。
リリーが喝采を浴びるシーンが頭の中に浮かび上がってくるかのような名口上ですが、
寅さんのリリーに対する子供のように純粋な優しさ、同時に無力さを感じないではいられない、なんて美しくも儚い一幕であることか。このセリフと「一幕」についてはまた別でも取り上げることになるかと思います。
● 「もうよせよ、さくら。
あいつは、頭のいい、気性の強いしっかりした女なんだい。
俺みてえなバカとくっついて幸せになれるわけがねえだろ。
あいつも俺とおなじ渡り鳥よ。腹すかせてさ、羽根けがしてさ、
しばらくこの家に休んだまでの事だ。
いずれまた、パッと羽ばたいてあの青い空へ・・・。
な、さくら、そう言うことだろう。」
(第15作 「寅次郎相合い傘」(1975)より 車寅次郎のセリフ)これまた、以前のベスト3の記事でも少し書きましたが、「寅次郎相合い傘」の中で私が特に心に残った寅さんのセリフです。
「寅次郎相合い傘」というと、「メロン騒動」も名シーンとしてよく取り上げられますが、私は先述の「アリア」とともにこの寅さんの言葉抜きでは「相合い傘」は語れないとすら感じています。
寅さんはシリーズを通して、リリー以外のマドンナ相手にもたくさん恋をするわけですが、寅さんがそのことにどれだけ自覚があったかということは置いといても、
リリーだけは「特別の存在」だったということがよくわかるセリフだと思います。
それとともに、
「あ、寅さんてわかってる人なんだ・・・」と。
寅さんは実は悲しいぐらいに己をわきまえている人、と先程も書きましたが、自分と同類の立場に置かれた人間の性のようなものも十分にわかっている、ということがこの言葉でわかるのです。
寅さん=おバカのように思われがちですが、そうではない。
ある一面で非常によくわかっている人だからこそ踏み込めない、それが寅さんのもどかしさ哀しさであり、見方を変えれば「美学」、寅さんの格好良さなのではないかと感じます。
「そ、そんな、じょ、冗談じゃねえやオレが、……」という「寅次郎純情詩集」での短いセリフとあわせて、寅さんの意外にも二枚目な「素」が出てしまった、印象的なセリフだと思います。
● 「覚えてへん。おかん、ワイのこと産んですぐ男と逃げたさかい」(第27作 「浪花の恋の寅次郎」(1981)より 源公のセリフ)名言・名セリフベスト12、 最後は多分、寅さんを観賞したことのある数多の人の中でも私しか選んでいないと思われる言葉ではないかと(笑)
シリーズを通じて源公が発した唯一のシリアスなセリフです。
私がこのセリフを聞いた時に思ったのは、まさか源公がこういうシリアスな内容を語る場面が出てくるとは!という意外性でした。源公は、寅や近所の子供と一緒にバカをしたり、それで御前様にこっぴどく叱られたり、といったようにずっとあえて「おちゃらけ」なままで終わるのかと思っていたからです。
母親に捨てられて以降、源公がどういう経緯をたどって柴又に流れ着いたのか、など短いながらも源公の苦労に満ちた前半生につい思いを馳せてしまう貴重なセリフだと思います。
源公に関しては、
「満男、ビデオ観るか?裏ビデオ」(第39作「寅次郎物語」(1987))というセリフも時代がよく出ていて個人的には大変気に入っているのですが(笑)、まあこちらは次点の次点ぐらいかな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「男はつらいよ」名言・名セリフベスト12、いかがだったでしょうか?
文中にも書きましたが、「何のために勉強するのかな?」という満男の問いへの名答、引っ越したガールフレンドに会うために九州まではるばる一人でやってきた満男を非難する人間の前でかばい「むしろほめてやりたい」と言い放つ毅然としたセリフ、あるいは、「第6作 男はつらいよ 純情篇」のラストで寅さんが口にする「故郷ってやつはよ 故郷ってやつはよ・・・」 など、多くの人が推す名言は他にもあります。が、最初にも言いましたが、あくまでも自分が個人的・主観的な好みで選んだものですので、ご了承ください。
しかし、挙げていて気づいたのですが、第39作「寅次郎物語」って、印象的な名言・名セリフの宝庫だなあと。
シリーズ中、私個人の好みではベストテンには入る作品ですが、こうやって改めて見てみると脚本が練られていたんだなあと思いました。
それと、ストーリーの好き嫌いではなく、あくまでもセリフの好き嫌いで選んだつもりですが、やはり自分が好きな作品から多くの好きなセリフが出てきますね。
次回も、私が感じた寅さんの魅力をまた違う観点から考察してみようと思います♪
※なお、正確なセリフの抜き出しにあたっては、
「男はつらいよ 全作品覚え書ノート」 というサイトを参考にさせていただきました。
寅さんがお好きな方でしたら既にご存知かも知れませんが、全作を徹底的に考察・分析されたかつ作品への愛に溢れた本当に素晴らしい老舗のサイトです。 ご興味がある方はぜひ、ご覧になってみてください
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もう7、8年前になるでしょうか、たつのに行き、古い町並みが残るいいところだなあと思いましたが、「夕焼け小焼け」を見てから行ったらさらに良かっただろうな〜と思います。
寅さんがたつので久々にぼたんと再会した時に、ぼたんが洗濯か洗い物かをしていた水路のある入り組んだ路地の風情が素敵だなあと思いました。ああいう場所、行った時には見つけられなかったので。今はもうない路地、区画なのかな。
もう一度、寅さんロケ地巡りで行ってみたいです。
たつのに子供の頃にご縁があったら、余計にこの作品は胸にしみるでしょうね。
まさに、あの映画に映し出される風景をリアルタイムでご存知ということですもんね。お父様も当時、お喜びだったことでしょう。