fc2ブログ

ソラリスの時間

昭和(1960-80年代)の懐かしいモノ、ヘンなモノ満載!!! 脱力系 or ココロトキめくノスタルジックワールドへご案内〜!
☆お知らせ☆
お問い合わせ等は、右カラム下部のメールフォームからお願いいたしますm(_ _)m
コメント欄(コメントは非公開に設定できます)からでもOKです

生きた心地がしなかった2、3日

当時も書きましたが、2020年の春にテレビの街ブラ番組のBGMで耳にして以来すっかり虜になってしまい、今や最もリピして聴いている曲、キリンジの「エイリアンズ」。しかも、長年愛聴しているルパンのサントラや大好きな数々の昭和の名曲以上の頻度で聴いています。



「番組内に登場した小さな昭和の2階建ての一軒家とその窓から見えるタワマン群の風景、そのコントラストが、この曲の世界観にぴったりな気がして。
90年代後半の東京を思わせる少しノスタルジックで退廃的な世界、それなのにどこか宇宙まで突き抜けていくようなピュアで透明な空気感と独特の浮遊感が感じられて素晴らしい。」
と、その時も書きましたが、今もその印象は変わらずですね。

発表された2000年という年にあまりにフィットした、世紀末感が漂う曲で。
結局、世紀末に世界は滅亡しなかったけど、実質的には旧世界にとっての世紀末だった。
そんな取り残された旧世界の片隅でひっそりと生きる男女の孤独が、私の目には浮かびました。
儚いけれど、最後に残るのはその日その時確かに誰かを愛していた、その愛だけなんだろうな。(私の勝手な解釈です)

この曲を夕方〜明け方の長距離移動の列車やバス、車の中で聴くと、シビれるだろうな〜




さて、と。
8/10〜12にかけては、コロナが疑われる症状で生きた心地のしない時間を過ごしていました。

詳細な容態経過は省きますが、10日夜には悪寒、意識が朦朧となるほどの高熱(寝ていたのか気を失っていたのかいまだにわからない)、嘔吐・・。
家にあった解熱剤のおかげもあってか、11日には高熱はおさまり、12日には起床時から平熱に戻っていました。
で、12日の午後に近くの病院でPCR検査を受け、幸いにも「陰性」!! (//∇//)

自分の場合は上記の症状だけで、喉の痛みや咳といった症状が出なかったので、少しは希望を持っていましたが、それでも結果がわかるまでは不安でいっぱいだったので、陰性とわかった時の安堵感は言葉では言い表せないほどでした。

生きた心地がしなかったのは、同居する高齢の家族に感染させてしまったのではないかという恐れからでした。状況から見てもし自分が陽性だったら、明らかにうつっている。
特に10日の夜に、一旦気がついた時には声を出して泣きました。泣きながら、家族と私を助けてください、とひたすら祈ることしかできませんでした。

私の場合は、普段からそこまでやる?と言われるぐらい外食もせず、友人などとも会っておらず、また公園など周りに人がいない場所以外ではマスクを外すことが皆無なので(うがい、手洗い、消毒も抜かりなくやってます)リスクの高い行動をとった覚えが全くありませんでした。
が、自分の中で原因探しを始め、「あの時、あそこにいたことがいけなかったんじゃないか」など、とにかく自分を責めました。


しかし本当に幸いなことに陰性でしたので、今はかなりキツめの熱中症だったんかな?ということで納得しようとしていますが・・
皆さん、特に高齢のご家族や基礎疾患のあるご家族と同居している皆さん、くれぐれもお気をつけください!!
熱中症にも気をつけてください。
不快指数最高度の暑さを誇る大阪で暮らす身として、熱中症にも気をつけてきたつもりですが、ちょっとした体調との兼ね合い等で発症する可能性が高まるのかも知れないと思いました。
例えば、今年の夏は37度以上の体温越えの日が珍しく大阪ではほとんどないのですが、しばらく前から発表される気温以上の暑さをなぜか個人的に感じていて、そのあたりの体感と体調が関係したかも知れません。

繰り返しになりますが、どうぞ皆さん、ご自身のためそして大事なご家族のため、体調にはご留意ください

次の記事は、今週中にはUpしますヨ〜


スポンサーサイト



昭和な近況、昭和のマンションならではの時代の痕跡・・等々

今日は近況報告的なノリで。


987-30自宅に残る80年代7

先月、NHKの地上波で放送されていた、1989年の中森明菜のスペシャルライブ
デビューからのシングル曲ばかり24曲を歌い上げる伝説のライブで、この日私が帰宅した時には80年代後半の「タンゴ・ノアール」や「難破船」などを歌っているところでした。

デビューからそう経っていない80年代前半の曲が聴きたかったのにぃ 間に合わんかったわ〜と嘆いていたら、なんと時代を順に遡るようにして、この後に待望の80年代前半のヒット曲が続々と!
全部、一緒に口ずさんだわ、バラードすらもノリノリで


最近は本は買ってないけど、書店でチラ読みはさせていただいてます(相変わらず節約中につき、書店さま、ゴメンなさい


987-30自宅に残る80年代6

そういえば少し前に、この東京の中銀カプセルタワービルも解体されてしまったんだなあ・・。
中の部屋を一度は見てみたいと思っていたのに、結局直に見ることはできなかった。


987-30自宅に残る80年代1 987-30自宅に残る80年代2

ブロ友のあけぼうさんが紹介されていた「時代劇聖地巡礼」なる本。
昭和〜平成初期の時代劇の再放送を最近見ることが多い私としては、「やっぱりあれは、あそこだったんだ〜」と納得のものもあれば、もちろん気づかなかった場所もたくさんあって。
ドラマのクレジットでは名前が出ていないロケ地が、実はたくさんあるんですよね。

「時代劇聖地巡礼」の近くの棚にあった「寅さんの「日本」を歩く3」
前にも書きましたが、行ってみたいロケ地は本当に色々とあるんですよ、特に寅さんは。
コロナが終わらないと安心して気ままに遠出することができないのよ。そこがもどかしいのよ。


987-30自宅に残る80年代3 987-30自宅に残る80年代4

「ベルばら」のDVDブックが出てたんだ〜

実は私、フェルゼンがかなり好きです。
オスカルよりもフェルゼンですね。アンドレかフェルゼン。立場は違えど、一人の女性を一途に愛するところにキュンとくる

それにしても、あんなに毎週見ていたはずなのに、「ジャンヌ」のことなんて忘れてた。というかほとんど彼女の言動などを思い出せないのはなぜ?! インパクトあったはずなのに。


987-30自宅に残る80年代5

磯野家の昭和式バカンス、か。
はぁ、平和でいいな〜 ♫今日は楽しぃ 今日は楽しぃ ハイキングぅ〜




話は変わって。
今でも私の夢には、高校3年生まで住んでいた岡山の家が結構な確率で出てきます。10数年前に取り壊されてしまったけど、懐かしい思い出の詰まった昭和の民家。
不思議なことに、現在暮らしているマンションの部屋が夢に出てくることは全くと言っていいほどないです。

でも、今暮らしているマンションが夢に頻繁に登場する日もいつかやってくるんだろうなぁ。
今のこの日常を、泣けるほど懐かしく思い出す時がやってくるんだろうなぁ。



987-30自宅に残る80年代10


今住んでいるマンションは1980年代、そう、まだ昭和の時代に建てられた古い物件です。
玄関やお風呂場、洗面所の電気のスイッチには、「National」の文字。


過去にも、

80年代家電からお習字バッグ、フランス人形まで〜わが家に現存する昭和の懐かしグッズその1(2011年6月)、
出てきた~!バレリーナ人形オルゴール、レトロマッチと幸福ゆきのキーホルダー~わが家に現存する昭和の懐かしグッズその3(2011年9月)、
わが家にはまだ残ってマス☆蔵出し☆わが家に現存する昭和の懐かしグッズその4(2013年9月)

・・・など、自宅に残る昭和の懐かしい家電やグッズなどをご紹介してきましたが、こんな電気のスイッチなどは生活に密着しすぎているせいか、わざわざブログで取り上げるほどのものでもないだろうとどこかで思っていました。
しかし年数が経つごとに、今では見られないメーカー・ブランド名などの稀少性もあり、画像として残しておくべきではないかと思うようになりました。


987-30自宅に残る80年代11


真ん中のスイッチだけが、なぜか「東芝」。この東芝のスイッチだけ微妙に新しい気がします。
うちは一度も電気系の工事をしたことがなかったと思うので、前の入居者の方がここだけ事情があって替えたのかどうか不明です。


987-30自宅に残る80年代12

これ、洗面台なんですけど、洗面台のメーカーが「ヤマハ」と言うのが何気ないけどすごくありません
もうこの部屋に住んで相当な年数が経つので、普段は気にしていませんが、あのヤマハがこんな水回り設備を製造していたというのが意外でしょ。昭和に建てられたマンションならではの時代の痕跡、なのかも。


987-30自宅に残る80年代13

そして、なんとお風呂場の浴槽もヤマハ製です
こういうシールって、すぐに剥がしてしまう人と剥がさずにそのまま置いておく人といますよね、多分。

前の入居者の人も剥がさずにそのままにしていてくれたおかげで、貴重な痕跡が残りました。


987-30自宅に残る80年代14

様々なメーカーがマンション設備に参入されていた様子。
レンジフードは「日立」さん。


987-30自宅に残る80年代15

で、流し台も同じく日立製です。キッチンは日立で統一されてる。
この流し台の青×白のカラーリングが昭和っぽいですよね、今見ると



ちなみに、10年以上前にご紹介したわが家に残る80年代家電のうち、


987-30自宅に残る80年代16


987-30自宅に残る80年代17


ハイ、この通り、冷蔵庫と洗濯機は、いまだに現役で活躍してくれています
冷蔵庫はシャープ製、二槽式洗濯機は、日立の「青空」。
冷蔵庫は取っ手の部分がちょっと壊れていて、ガムテを貼っていますが。

どちらも、私が大阪に来る前から母が使っていた40年近く前の家電が、なんといまだに使えています。
何度も言っていますが、この時代の製品は簡単には壊れない。なんて頑丈に良心的に作ってあるんだと、感動します
けなげに頑張ってくれているからこそ、簡単には捨てられない、買い換えられないんですよね。
電気代が安くつくと言う最新家電に買い換えるより、ゴミを減らす意味で、ひとつのものをできるだけ長く使うというのが結果的には1番のエコだと思うんだけどな。



987-30自宅に残る80年代8

もしかしたらすでに画像を上げたことがあったかもしれませんが、学生時代、80年代後半頃から使っているスヌーピーのビニールポーチ。
今も、通帳などを入れています。ビビッドでコントラストの効いたカラーが当時っぽさ満点。
こんなのもまだ残っていますのよん^^


987-30自宅に残る80年代21

イマドキな表現をするなら、エモいと最近思ったのがこの蔵書印
昔卒業した大学の図書館で借りた本に押してあったもの。
大学にいた頃は冗談抜きで図書館なんて2、3回ぐらいしか行ったことがなかったのに、まさかこんな年齢になってわざわざ本を借りに行くようになるとは思いもしなかった。
当時から、もっといろんなことに深く興味を持って真面目に勉強していたら良かったのに、と今更ながら思います
図書館がすっかり新しく綺麗になっていたのには驚いたな〜〜 最近の新しい本にも、この手のアナログな蔵書印は押されているんだろうか。

実はさっきのスヌーピーのポーチですが、昔この大学の講義室に置き忘れてしまい、当時も貴重品を入れていたのでヒヤヒヤな思いをした記憶があります。 大慌てしているところに、家に知らない女性の声で電話がかかってきて、翌日学校に行くと自分が座っていた席と同じ場所に無傷で戻されていた。
以来、財布を紛失したことは、今の所はですが一度もありません。



987-30自宅に残る80年代9

90年代だったか00年代になったばかりの頃に、梅田ロフトで買ったボード紙に貼られた値札。
「Loft」ではなくて「SEIBU」の値札なのが、今見ると時代を感じます。



酷暑の真夏ではありますが、相変わらず好物のチョコレートはたまに買っておりまして・・


987-30自宅に残る80年代18

とあるスーパーで買った、大好きな30円チロル。発売60周年です


987-30自宅に残る80年代19

そしてLOOKも同じく60周年のアニバーサリー


987-30自宅に残る80年代20


昭和〜平成 これが私の最愛チョコレート!!! (1)〜永遠のベスト5〜
を書いた3年前と比べて、特に、明治のストロベリーチョコレートは置いてあるお店が若干ですが増えた印象があります

30円チロルは、当時売られていた近所のセブンイレブンには今はないですが、他のスーパーで見かけるようになりました。
チロルを出しているメーカーさんも、今年はなんとミルクヌガー入りのこの30円チロルを推している様子
明治さんもチロルさんも私のブログを見てくださってますか??もしかして(笑)

コーヒービートも最近、置いてあるお店が増えた気がするなあ♪(嬉)



今から100年後にまだ学校の教科書のようなものがあるとして、おそらく教科書に載ると思われるレベルの出来事が立て続けに起きているのが今かも知れない。
第二次世界大戦、太平洋戦争へ至る時代の流れとして世界恐慌や226事件が教科書にも出てきていたと思うけど、その世界恐慌や226と同じような位置付けで、現在のコロナ禍やロシアのウクライナ侵攻、国内の財政の動向、元首相暗殺とそれに至る背景などなどが語られる日が来るのではないかとさえ思うことがあります。

なんとなくダラダラと書いてしまいましたが、こんな世情だからこそ、そして自身の心配事もありつつもより日常の暮らしを大事にしていきたいと感じることが多くなりました。日々の小さな幸せのありがたみを感じて。


987-30自宅に残る80年代0

おそらく何十年かぶりに食べたメイトー(名糖)のバニラアイス。
カップのデザイン、絵柄などは昔とは変わっていましたが、夏休みの味がしました


眠れるラピュタ島、和歌山・ 友ヶ島へ

子供達はそろそろ夏休みですね。
そして、私達にも同じように夏休みを過ごした時代があった。
ずっと前のブログにも書いたことがありますが、私にとっての夏は長くて短かかったあの頃の夏、子供時代の夏休みが懐かしく蘇って来るノスタルジックな季節でもあります。


2015年の夏。 
和歌山県にある、無人島「友ヶ島」へ出かけました。
南海電鉄の加太駅から歩いて渡船場へ向かい、そこからフェリーに乗ること約20分。

987-33和歌山友ヶ島00


思っていた以上に多くの人が島へと渡っていました。
中には、欧米系の外国人の方の姿も。


20160717友ヶ島0


桟橋前にある古びた「旅館友ヶ荘」。この字体で昭和の頃からの旅館だとわかる。
こちらが旅館としての営業を今も行っているのかどうかは不明ですが、島内にはこの他にもログハウス風の宿泊施設があり、営業されていました。
無人島なので住民はいないけれど、夏にキャンプや釣り、バーベキューをしにやってくるレジャー客用の施設が2、3軒だけある、というのが現状。


ここから先、しばらく歩くと、非日常的な廃墟、遺構の世界へと入って行きます。



20160717友ヶ島1


友ヶ島は、いわゆる戦争遺跡が残る島です。
明治時代に軍により砲台等の要塞施設が造られ、第二次大戦の時にも兵士が駐留していましたが、数カ所に設けられた砲台は実戦に使用されることないまま、終戦を迎えました。


20160717友ヶ島2


20160717友ヶ島3


渡船場から最も近い場所にあるのが、「第5砲台跡」
施設跡を覆うように草木が生い茂り、ここが過去の遺物であることを無言で物語っています。


20160717友ヶ島4


20160717友ヶ島5


次の砲台跡へ向かう途中にあった、水が溜まって貯水池のように見える砲座も‘遺跡感’を感じる場所。
このすぐ近くに、真っ暗で懐中電灯で照らしながらでないと歩けない、短い地下トンネル通路もあります。



そして、ここからが島で最も有名な「第3砲台跡」
第5砲台跡から800メートルほど奥の地点にあるのですが、舗装されていない山道(この島には舗装された道路はありません)を歩くこともあり、感覚的には1キロ以上の距離を歩いた気がします。


20160717友ヶ島6


20160717友ヶ島7


20160717友ヶ島8


7月下旬、日差しが照りつけるかなり暑い日だったにもかかわらず、この場所だけはまるで別世界のように空気がひんやりとしていて、文字通り、漂う空気感が違っていました。
日陰になっているせいもあるでしょう。

いちばん印象に残っているのは、地面に浮かんでいた木漏れ日。
ゆらゆらと揺れる白くてまるい光を見ていると、それが単なる日の光ではなく、まるで蛍の光のように、生命の灯のように思えて来るのが不思議でした。


20160717友ヶ島9


20160717友ヶ島10


視界が開けた、遠くを見渡せる小展望台。 まるで、異国の古代遺跡の祭壇のようにも見えなくもない・・かな?
     


友ヶ島は一部の間では注目のスポットとなっていて、個人ブログの他に様々なサイトで紹介されていますが、そのほとんどがこの島のことを「ラピュタ」のようだと評しています。
なので、同じように言い表してしまうことは安直すぎる気がして抵抗があったのですが、それでもあえてこの島を「ラピュタ」にたとえたいと思います。

このまま永遠に、緑に覆われた眠れる島のままであり続けてほしい。
(観光の島として賑わう分にはいいけど)
それが、この島で感じた思いだったので。


唯一、海岸沿いにあるという第2砲台跡にも是非行ってみたかったのですが、この時は残念ながら立ち入り危険ということで、完全に道がシャットアウトされてしまっていました。
でも実際、私が歩いた経路だけでも十分に探検気分を満喫することができます。
気分は、さながら「スタンド・バイ・ミー」。

70年余前の暑く重苦しい夏。 
そして日々が冒険だった山間の故郷での子供時代の夏休み。ふたつの時代の夏に思いを寄せて。



遺構6
↑(おまけ)帰りに加太駅周辺で見つけたヤンマーの看板。ヤン坊・マー坊、久しぶりに見た〜!(喜)





☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今回は久々に、フィルム写真メインのお出かけ記事をUPしました

実はこれ、訪れた翌年の2016年の夏に既に下書きとして書いていたもので、旅行サイトとブログの両方でご紹介できたらと思っていたのですが・・どういった事情だったのか、その当時の私の気まぐれだったか思い出せませんが、結局お蔵入りになっていました。

以来今まで数年も放置していたわけですが・・というのは、この友ヶ島の記事、とっくにブログに上げた気になっていたんですよね。
他の件で公開済みの記事を検索していて、いまだ公開していないことに気が付いた。近年の出来事の記憶力ほど本当にアテにならない(苦笑)
最後のヤン坊マー坊の看板写真は、確かにこのブログ内or他所で公開したことがあったと思いますが。


最奥部の第3砲台跡を訪れた時に、この場所だけは別世界のように空気がひんやりとしていて漂う空気感が違っていたとか、地面でゆらゆらと揺れるまるい木漏れ日がまるで生命の灯のように思えて来る、
などと感想を書いておりますが、今現在インターネットで友ヶ島を検索すると、「心霊スポット」というワードが上位に上がってくるんですよね

この島は結局終戦まで機能することはなかったので、敵の攻撃で命を落とした兵隊さんの霊が・・ということはないはずですが、ここで駐留している間に病気やら何やらで亡くなった方がいたとしたら、まあそういうこともあり得るのか、と
しかし、戦争遺構の残る無人島という特殊な環境が余計にそうした噂を喚起する側面はあるんでしょうね。どちらにしても、あまり心霊スポットとしては有名になって欲しくないですが。


コロナ禍による旅行外出控え、現像代などが高いこともあって写真撮影から遠ざかっていますが、フィルム写真を撮りたい熱が少しだけ復活してきました。
秋ぐらいからはまた近場の写真を載せていけたら。


プロフィール

マナサビイ

Author:マナサビイ
昭和40年代生まれ。大阪在住。
前身のブログを始めた2007年より一貫して昭和のカルチャーやプロダクト、個人的な想い出などのテーマで書き続けています。
ブログの内容からか男性と間違われる事が多々ありますが、女性です。
小々石 曲允子の名で、昭和文化愛好家、神秘の杜ナビゲーターとして取材執筆も行っています。

旅先でのフィルム写真の撮影、神社仏閣や古代史などのトピック、野球観戦、2時間サスペンスの再放送視聴なども好き。

記事の無断転載を禁止します。
(C)ソラリスの時間
 

カテゴリー
タグ

過去記事一覧
全タイトルを表示
最近のコメント
ブログリンク&ブックマーク
QRコード
QR